虫明英樹 『新型インフルエンザはなぜ恐ろしいのか』(、2009年)• SARSの報告は、彼の命がけの貢献であったといえよう。
その結果、博士はこの病気がこれまでにない種類の重症急性呼吸器症候群(Severe Acute Respiratory Syndrome であるとの結論に達した。
人工呼吸器を入れてから、どんどんと肺機能が弱まっていったそうです。
2003年2月の後半、中国からの旅行者を治療したベトナムの医療従事者の間で急速に重度化する肺炎が見られた。
ウルバニ医師は、これが新しいウィルスによるものであることを確信していた。
この前後に彼はSARSに感染したものと思われる。
致死率が高いといいますから広がりが大変心配でした。
大学院教授。
その翌日、ついにWHOが全世界へ向けて感染拡大の警告(グローバルアラート)を出す。
奥さんは子供を守るために、そのような危険のある患者に対応するのは父親としての責任ある行動ではないと主張したそう。
参考文献 [ ]• カルロが命がけで送り続けた患者の記録がその後のSARSの診断基準となり、徹底的なSARS 疑いの患者の隔離が世界各地で行われ、発生から2ヶ月を過ぎて感染拡大は徐々に終息に向かい始めるのである。
最終的にはベトナムでは、63人しか罹患せず彼のおかげでたくさんの命が救われたことと思います。
とにかくただでさえ冴えない僕の思考力が、痛みでさらに低下しているので、うまく物事を考えられない。
ベトナム保健省に緊急の会議を持ちかけるが、何せ一週間もたっていない状況であの腰の重い保健省が病院閉鎖に同意するわけがない。
新型コロナウイルスのような未知のウイルスが発生すると、国際社会は巨額を投じて一斉に封じ込めにかかる。
日本国内の新型コロナウイルス感染者は89人にまで増えた(2月8日12時現在)。
ただ、患者の対策を考えているうちに自然にそうなったんじゃないかなと思う。
著書 [ ] 共著 [ ]• 2月13日、で放送された、『SARSと闘った男〜医師ウルバニ 27日間の記録〜』で、彼の功績が紹介された。
その結果、やがてベトナムでは感染が食い止められ、いち早く制圧に成功したのだ。
また、この時の彼の活動が、高校の英語の教科書の題材に採用されている。
3月11日、博士は自らがSARSに冒されたことを知り、チェンを初めて診察した約1ヶ月後、バンコックの病院で妻と3人の子供を残して亡くなった。
~ 去年のSARS流行の記憶は生々しいし、鶏インフルエンザの流行も不気味だ。
当時、ハノイにいた友人は、外国人旅行者がいなくなり街も外出する人が少なく、ひっそりとしていたといいます。
国境なき医師団イタリア支部の会長を務め、1999年に同組織がノーベル平和賞を受賞した際には、授賞式に参加する代表団の一人であった。