ですが 横山裕さんが3歳の時に両親が離婚したことから状況は一変していきました。
当時、横山裕さんの住んでいた港区のマンションで下の階にまで被害が及ぶほどの漏水事故を起こしてしまったそうで、その際、契約内容の同居人のところに中野良子さんの名前があったことが判明したそうです。
弟さんといっても言い方を変えれば、「自分を虐待した男の子供」でもあるのですが、そんなことは関係なかったようです。
離婚の原因は分かりませんが、親権は母親が持つことになり母親との生活が始まりました。
また、カタカナを読み書きするのが苦手のようで、フォークデュオの「キッサコ」を紹介する場面で、「キサッコさん!」「え?キサッコ?」と何度も間違えた挙句に結局言えず、村上信五が代わりに紹介するハメに。
横山裕さんが6歳の時と8歳の時に弟たちが生まれており、 義父と仲良くすることできず、虐待を受けていたようです。
財布や携帯電話、免許証をよく失くす。
4歳の時に、母親が再婚しましたが、義父から邪魔者扱いされ、祖父母に預けられた時期もあったとか。
さらに、お母さんが中学3年生でジャニーズ事務所に履歴書を送り、そこからジャニーズJrとして活動もしながら両立していました。
ジュニア時代から名前を覚えてもらいたい!ということから「横山裕」にしたのかもしれませんね。
結婚しても、旧姓のままで活動しているママタレさんが殆どですし……。
例えば、2007年8月2日放送回では電話先の弟に対して「 みつる」と呼びかけ、みつるさんはその時同じ場所いた次兄を「 つとむ兄ちゃん」と呼んでいました。
横山裕がジャニーズ入りした後、再婚相手の父親と母親は離婚。
しかし横山裕さんはハーフでもクオーターでもなく「日本人」です! 確かに言葉遣いはバリバリの関西弁ですし、見た目だけではハーフかクオーターかなと思いがちですが話しているところを聞くと日本人かなと感じますよね。
本当に横山裕さんの生い立ちや人生を見てみると感動しますね・・・。
ちなみにジャニーズの中で本名ではないのは横山裕さんだけです。
「仕事に穴を開けられない、母親も同じ意思だと思う」との気持ちからステージに上がり、訃報を聞いたファンの中には涙を流していた人もいたようです。
それに、対して義父は 『早く呼べよ』と、頭を叩いたとのこと。
確かに横山裕さんがロシア人の血が入っていると言われても全く違和感ないですよね! この肌の白さもロシアの血が入っているからなんだと逆に納得してしまいそうです! 実は横山裕さんは最初ジャニー喜多川さんから「横山ヘンリー」と名付けられていました。
すでに事務所に所属されているとの情報はありません。
歌詞の一部を紹介すると、 『おかあちゃん、僕は何してあげられた?優しかった? もっと一緒に笑いたかったなぁ。