翌日の捜索で、700mほど下の斜面で、雪に埋もれた状態で谷口さんの遺体が見つかった。
昨年4月のから帰国して久しぶりに日本の山の話題をTwitter等で追いかけたときに知ったのが、穂高岳山荘の名物小屋番であり映像作家でもある宮田八郎氏が4月5日に南伊豆の海上でシーカヤック中に行方不明になっていたという事実。
彼は山岳救助を含め、ネイチャーアクティビティの豊富な経験を持ち合わせていましたが、 残念なことにこのような事故に至ってしまいました。
これを受けて、6日、宮田さんのブログに、山荘スタッフによると思われる記事がアップされました。
まさか、一緒になるとは思っていなかったので、結果、我が家には2枚あります。
米国最大級のソーシャルニュースサイト『』では、谷口さんの死を受け、山で亡くなるピオレドール受賞者が多い、という書き込みも見られた。
どれだけ酷い事故だったか? どういうふうに助けたか? どれほど奇跡的なレスキューだったか? は現場説明に過ぎないので、詳しくは語られません。
レスキューを通して、山の素晴らしさが伝わってくるのです。
彼の告別式に松本市波田まで出かけたが、とても悲しく辛かった。
宮田は、長年の山荘業務を基点に、多くの登山者を救った遭難救助、ブログ「ぼちぼちいこか」での発信、穂高の厳しさと美しさの両面を伝える映像制作と、精力的に活動しておりました。
それを理由にグズグズしてきた。
午前11時過ぎ 連絡がきました。
穂高の小屋番であり遭難救助隊員でもあった宮田八郎が登山者に向けて残した、厳しくもあたたかいメッセージ。
そして、マスコミ各紙では7日に報道されました。
事故発生当日から、警察、消防、海上保安 庁、地元消防団や漁協の方々の協力で捜査 を開始。
ブログ「ぼちぼちいこか」にてご家族からお知らせがありましたとおり、弊山荘の前支配人である宮田八郎は、本年4月5日に起きた南伊豆での不慮の事故により行方不明となっておりましたが、5月に沼津港沖で発見された身元不明遺体が、7月5日、宮田八郎であると判定されました。
スポンサードリンク 宮田八郎が海に出た理由や今後は? 宮田八郎さんは穂高で長年小屋番として、山 岳レスキューに携わってきました。
残念ながらすでに亡くなっていました。
事故に遭遇した一般登山者はもちろんのこと、友人である山岳写真家やアルパインクライマー、さらにはレスキューのプロであり宮田八郎氏が師と仰いだ東邦航空の篠原秋彦氏までも。
その後、行方が分からなくなっていました。
気になる目次を見る!• 5 午前11時過ぎ 連絡がきました。