『どうして!』って。
私も、今年の冬、母と妹と一緒に、温泉に行ったんです」 阿川「あら、えらい」 マリ「貸し切りのお風呂に入れて、みんなですっぽんぽんの状態になって。
戦時中と戦後に散々な目にあった母にとってバターと砂糖のパンは贅沢品でしたし、なにより弁当で愛情を表現する、というコンセプトが彼女にはないわけです。
モーレツ! マリさんの母リョウコさんもまた、音楽と娘、そして自身の人生を愛する、何から何まで「規格外」の母だった! ヴィオラ演奏家として世界を駆け巡りながら、シングルで娘2人を育て上げた破天荒なリョウコさんからマリさんが学んだこととは? 濃縮3回シリーズ、第2回は「マリさんの3回の転機」についてです。
もしかしたら「想像脳」が思いっきり 発育してしまったのかもしれません。
わりと勝手で(笑)。
そこに住みたいから暮らしていたわけではないんです。
奉公先で倹約のコツを身につけ、19歳で実業家と結婚。
ヤマザキ: 絵で食べていけないのがわかったので、28歳の時に初めて漫画を描きはじめました。
その詩人は働かないのでそのまま生活を続けると、マリさんは二人を養うことになるからです。
同居人に 「てんちゃんは、松坂桃李と高橋一生と、どちらとケッコンするでしょうか」 とたずねると、 「どちらも振って、濱田岳」 とゆー、第三の選択肢が登場しました。
important;background-image:none! ヤマザキ: 私の父は指揮者だったんですけど私が生まれてすぐ死別してしまいました。
ジョン・ウェインに惚れるのではなく、自分がジョン・ウェインになりたい。
当時の育児日記を見ると、母が共演した音楽家の記事とか全部貼ってあって「マリちゃんにもこんなふうになってもらいたい」と書いてあるんですよ。
ヤマザキ ほんとにそう、集まりですね。
最初は気丈になんとかなるだろうと楽観していたんですが、夫がいかに普段何げなくも大切な話し相手だったのかを痛感しています。
そうです。
ヤマザキ 決められたことが嫌だという感覚は、 何かに対して反発する気持ちではありません。