(3)新たな変化 大河内君のような衝撃的事件が起こると、その後は人びとのいじめに対する関心は急激に高まる。
12月になり雅弘さんは再度、主犯生徒のAの家にいき、抗議を行っている。
「このままじゃ生きジゴクになっちゃうよ」 この中野富士見中学いじめ自殺事件で象徴的だったのが、いわゆる「葬式ごっこ」でした。
こうした忌まわしい事実を決して風化させてはいけないのだ。
』 と、口止めを願っていたというのだ。
報道それ自体はさきほどのA,Bのように事件後の学校の取り組みを取材する点では類似している。
また学校机と椅子で積み上げられた空間に鹿川裕史くんは閉じ込められたりし、野球拳を強要されて服を脱がされたりなど。
」(95年5月21日・朝日・朝刊) B「4月16日、豊前市立角田(すだ)中学2年、的場大輔君(当時13)が、自宅で首をつって自殺した。
特に、自ら手をかけた訳じゃないですから。
イジメは最低の行為ってことが何年経ってもわかる事柄ですね。
執拗に暴力をふるったうえ、笑いものにする、金銭を要求するなど、弱い者いじめをエスカレートさせ自殺に追い込んだことは明白であり、控訴は棄却されるのではないかとの見方が有力だ。
いじめを助成するのは、いじめっ子ではなくて、しらけた傍観者であることは忘れちゃいけないだろう。
同年6月には、遺書に書かれていた生徒2人と両親、東京都と中野区を相手に損害賠償を求めて、遺族が東京地方裁判所に民事提訴した。
交通死亡事故での罪も軽いぐらいです。
そして、鹿川裕史くんが酷い状態になっているということが日常光景として、他の生徒たちにはうつっていたのかも知れない。
だが、しかし3学期になってからは、再び鹿川裕史くんへのいじめが起きる。
その概要は以下の通りである。
(中略) 総社東中学校では事件後、毎月29日に集会を開き、校長が『思いやりの心を持つこと』や『命を大切にすること』をテーマに、話をしている。
そしてそれはいじめを積極的に行った生徒たちだけではなく、教師も加担するという恐ろしいことになるのだ。
そのうちの一人は関西のある宗教団体の本山を訪ねたという。
鹿川裕史さんの命日に新聞記者さんがお墓参りに行きましたね。
ならば、教師はどうなのか? 2年A組の担任であった教師・Fは、鹿川裕史くんが使い走りをさせられるようになった頃に、父親の雅弘さんに連絡をしている。
さらに、この事件は他のいじめ自殺が起こった際、頻繁に例として取り上げられた。
また、加害者側も贖罪の意識があるのなら、賠償金を支払うことにするべきだろう。