伏見線 八条新道(後の京都駅八条口) - 塩小路高倉 - 東洞院塩小路 - 七条停車場前間が延伸開業し、官営鉄道東海道本線を跨ぐルートが完成。
所在地:京都市南区東九条下殿田町• 北大路線 北大路大徳寺前-上総町 開業 (昭和7年)• 10月1日 河原町線 七条河原町 - 洛北高校前、七条線 七条河原町 - 西大路七条、烏丸線 京都駅前 - 七条烏丸を廃止し、市営バスに転換。
5月30日• 烏丸線 上総町 - 中賀茂橋西詰 北大路線編入。
廃止年月日:1972年(昭和47年)1月23日• (明治41年)• 横倒しで描かれているため、左が北である。
4月1日 烏丸線 七条烏丸 - 烏丸車庫前6. 京都駅前電停は、上の路線図のとおり、3方向から市電が発着しました。
13号系統• [ ] 他路線との立体交差 [ ]• これ以後、旧京都電気鉄道狭軌線付替え及び軌隔拡張(狭軌から標準軌化への改軌)が進む。
古都に似合う優雅なその姿に惹きつけられるファンも多く、たくさんの画像、動画が残っておりますが、思い出に残る姿を留める画像はいくらあってもいいのでは?と思い、敢えて載せることに致しました。
京都市電気軌道事務所を京都市電気局に改組。
加えて、2010年発掘当時の状況資料(写真)がさほど多くないことも判断をつかなくしている。
千本大宮線 七条大宮 - 九条大宮が延伸開業し、大宮線 四条大宮 - 九条大宮全線開業。
京阪本線の西側 鴨川の橋の上 から撮っています。
在籍車両数:71両(1960年9月時点)• 東大路から七条通を経由して京都駅に到る[6]系統が、すれ違っています。
1月16日 北大路線、西大路線、東山線の一部区間での2両連結運転廃止。
背景はこの車両とほぼ同じ、1927年に建てられた京都市役所です。
換言すれば、個人的な願望も多かれ少なかれ混じった推測とも言えてしまうが、それでも市バス操車場内であれほどレールが残っている(いた)となれば、もしかしたら…と考えるのも当然であろう。
27 Nさん撮影 4系統は、6系統と対称の西回りで、烏丸通・北大路・西大路・七条通を走る系統だったのですが、烏丸通 七条烏丸以北 は廃止されていました。
2号車 :京都市左京区岡崎西天王町 塗装含め堀川線(北野線)廃止当時のままの姿で保存。
上記ツアーコースについてはスケジュールの都合から参加しないこととなったが、今まで残っているとは思わなかった車庫跡のレールだけは、別の日に独自に見に行くことを決め、現地状況をチェックしてきた。
貨物線休止。
西大路九条 - 西大路七条 - 西大路四条 - 円町 - 千本丸太町 - 堀川丸太町 - 烏丸丸太町 - 河原町丸太町 - 熊野神社前 - 天王町 - 錦林車庫前 - 銀閣寺道 - 百万遍 - 河原町今出川 - 河原町丸太町 - 河原町二条 - 四条河原町新京極 - 七条河原町 - 塩小路高倉 - 京都駅前• つまり、交通局庁舎解体の際に周辺敷地の発掘調査も行うことになり、その際に上の写真のような線路が掘り出され、遺跡発掘のために撤去され、その撤去された一部が小分けにされて販売された…との流れということになる。
道路のみ造成 軍事援護事業 他 [ ] 戦時下輸送増強 (昭和19年)• 京都駅前 - 塩小路高倉 - 七条河原町 - 四条河原町新京極 - 河原町二条 - 河原町丸太町 - 河原町今出川 - 洛北高校前 - 烏丸車庫前 - 千本北大路 - 千本今出川 - 千本中立売 - 千本丸太町 - 壬生車庫前 - 四条大宮• 廃止後も全国から京都市交通局に記念乗車券の注文が相次ぎ、1978年(昭和53年)12月で販売終了していたが(昭和54年)4月に販売を再開。
4月 明治天皇の勅令によって、明治28年4月から京都市で第4回内国勧業博覧会を開催する事が公布される。
12月11日 地方山崎貨物線 大手筋 - 地方山崎間が開業し、地方山崎貨物線全線開業。
23 また振り返って京阪本線の踏切を見ました。