予選会を含めても他に経験者はおらず、人数としてはやや少ない印象。
宗像も復路に残せれば強いですね• 全日本駅伝2区区間一桁は往路主要区間で一定の目途が立ったと言えると思います。
1985年:4年8区区間賞• 最終的には悔しい走り、箱根予選からの調整は青学や駒大ら有力ランナーの前では渡したかったかなぁ…。
大会終了直後の大手町で、監督に話を聞いた。
5㎞31位14分38秒、10㎞25位29分22秒、15㎞15位尾44分05秒で徐々に順位アップ。
強くなったなと思います」。
まだ大学駅伝での好走経験がないのが気になりますが、5千mのスピードもついてきて、そろそろ覚醒なるか!?。
箱根で10位に入り、初の2年連続シード権を獲得した東京国際大には、13分50秒31の佐藤榛紀(四日市工高・三重)、13分58秒00の白井勇佑(仙台育英高・宮城)と、初めて日本人選手の13分台ランナーが加わる。
主力選手は起用してしまっていたので仕方ないですかね。
特に5区山登りに関しては注目で、激坂最速王決定戦で東国大からも5名もの選手が出走するとか。
往路の2区で区間新をマークしたビンセント(2年)は金栗四三杯(MVP)を獲得した。
山もまだどうなるかというところです。
それにしても、15人が14分30秒切りというのはまず聞かない数字です。
創部からわずか9年で念願のシード権を獲得したことになる。
残り期間は短いですが、上級生の選手の復調というのが、初の連続シード権に向けて非常にカギになるはずです。
どこのチームにもいないエース選手です。
そういう決意の下で新シーズンをスタートしたはず。
その時から、1万mの走力はかなり向上していますし、再度の出走はあるか。
1984年:3年のとき箱根駅伝1区11位• 丸亀ハーフ・箱根予選連続で61分台を出すと、全日本大学駅伝では2区で11人抜きの激走!大学駅伝では、ずっと1区を任されましたが、箱根駅伝2区起用の目途が立ちました。
頑張らなきゃいけないなと思いました」 「我が道を行く」芳賀宏太郎、自分との勝負が第一 1年生から2年連続で箱根駅伝を走っている芳賀宏太郎(3年、学法石川)は、チームの練習とは別で個人として練習を組んでいる。
「駅伝の流れ、スピードに乗れませんでした。
集まったのは、•。
続いては箱根では10位、2年連続のシードを獲得した東京国際大学について見ていきます。
ムセンビまでにトップに立ってそうです。