その後、五十五年五月、十二代目團十郎が海老蔵時代に、野口達二の台本で復活。
なお、現時点での調査では歌舞伎に関する文献には「一丁蛸」とする表記は見られません。
平仮名をもって「ういろう」と記せしは、親方円斉ばかり。
よってそのなをみかどより、とうちんこうとたまわる。
きょうのなまだら、なら、なままながつお、ちょとしごかんめ。
そりゃそりゃ、そらそりゃ、まわってきたわ、まわってくるわ。
古栗の木の古切り口。
中にも 東寺の羅生門には 茨木童子がうで栗五合 つかんでお蒸しゃる。
ぼんまめ、ぼんごめ、ぼんごぼう。
お茶立ちょ茶立ちょ、ちゃっと立ちょ茶立ちょ、 青竹茶筅でお茶ちゃっと立ちゃ。
彼 かの 頼光 らいこうの 膝元去 ひざもとさらず。
あれあのはなをみておこころをおやわらぎやという。
ふりがな付きの本文を読んでも、意味が殆ど分からない!という方も多いはず。
たあぷぽぽ、たあぷぽぽ、ちりからちりからつったっぽ。
外郎の効能を見て、女性を口説くのに使えると考えた珍斎は、ぜひ自分にも飲ませてほしいと申し出ます。
さて、このくすり、だいいちのきみょうには、したのまわることがぜにごまがはだしでにげる。
煮 ( に )ても 焼 ( や )いても 喰 ( く )われぬ 物 ( もの ) は、 五徳 ( ごとく )鉄弓 ( てっきゅう )かな 熊童子 ( ぐまどうじ )に、 石熊 ( いしくま )石持 ( いしも )ち、 虎熊 ( とらくま )虎 ( とら ) ぎす、 中 ( なか )にも 東寺 ( とうじ )の 羅生門 ( らしょうもん )には、 茨木童子 ( いばらぎどうじ ) がうで 栗 ( ぐり ) 五合 ( ご ごう )つかんでおむしゃる。
系図正しき薬でござる。
魚鳥・茸・麺類の食い合わせ、その外、万病速効ある事神の如し。
一寸先 ( いっすんさき )のお 小仏 ( こぼとけ )のお 蹴躓 ( けつまず )きゃるな。
これを「一丁」と読めないこともありませんが、「 欄干橋虎屋藤右衛門 らんかんばしとらやとうえもん 」の下りに出てくる「 欄干 らんかん 」の「干」の字が『 』と書かれていて、「 」と同じ表記であることから、ここでは『 干蛸 ひだこ 』としました。