意識は物凄く高いんです。
その時、人は意識高い系ではなく、意識高い人になるのではないかなと思います。
「周りからの評価」なんてオセロみたいなものなのだから、どんどん発信と行動をすればいいのではないかなと思っています。
だから、自分の見せ方を考えて、結果を出る前の努力の過程をみんなに見せて、それでやる気が出て頑張るならいいのではないかなと思うわけです(分かんないけど、 世の中を豊にするサービスなんてそんな人の承認欲求と七転八倒の中で生まれたんじゃね?と思う訳です) で、これが意識高い系の構造の面白いポイントであり、議論する余地のあるポイントなのですが、 「まずは発信し続け、行動しているとチャンスが恵まれる」論が存在するわけです。
薄情ですが、 「結果が出れば、それまでの意識高い系な行動は、正当化」されます この経験から 揶揄される対象となっても、 結果が出れば一気にひっくり返せるということを学びました。
いつか僕がヘルプを出したことを覚えてくれていて、偉くなったときに美味しい焼き肉でも奢って欲しいなと思っています(薄情) あ、でも、そうは言っても、 個人的には「ポジショントーク」は薦めません。
な 人を引っ張って行くような事はしたがらないくせに、やたらと人目に付くところに出て行きたがる。
意識が高すぎても、低すぎてもダメ。
「機能はドラスティックだった!」とあまり見もわからず楽しい時などに使う事が多いようです。
アグリー(同意)、エビデンス(証拠・根拠)、コンテクスト(文脈)と、はやりのカタカナ語もたくさん。
何をするにしても張り合って来られると、常にさせられてるみたいで何一つ楽しくできないし、やがて、のやってないことでも自慢されるだけで気疲れしてうようになる。
また、証拠を示す際に自ら「エビデンス!」と発言する人もいるでしょう。
うちの母校(というかんどので)はのを先輩達もらってするようながあり、高い系のはその広い人脈を使って先輩方を回収して回り、それをを支持してくれる人に回してを得る。
したいのが滲み出て過剰なをしてったのはしている。
こういう意識高い系を大研究しているぜ。
生きてて恥ずかしくならなかったのかな。
言葉使いだけではなく、普段の自分の行動にも注意をした方が良いかもしれません。
そのために様々なことに自信をもっており、自分を大きくみせる言葉を使います。
でも、そうやって頑張っている人を、何の努力もしていない「流されているだけの人」が馬鹿にする資格はないんです。
本人は無自覚な事が多いのですが、周囲からすれば謙遜せず大口をたたいている人は、意識高い系、となってしまうのでしょう。
仕事を頼むときなどに「ASAPで」と言ったように使われ、プライベートでも早くして、という時も「ASAPで!」と使う人もいるようです。
SNSに映えるかどうかが重要なポイントです。
止ない取り 何かと事あるごとに張り合ってくる。
自意識が高いだけにならないようご注意を。