そして1966年春、奥村は帰宅途中のバスのなかで偶然にも「あの時の彰子さんではないですか」と山県に声をかけられ 運命の再会を果たしました。
さらに不正をするために休日出勤をしていた奥村彰子は評価され、昇給まで果たしてしまいます。
実家は山口県下関市ですが、生まれたのは朝鮮で、父親は警察官をしていたようです。
事件の真相を知っていくと この奥山彰子の父親が失踪したこと。
武井咲さんが美しい和服姿 着物姿 で悪女を演じていることでも話題のこちらの『黒革の手帳』はもちろん私もチェックしていますが、 『黒革の手帳』では現実の事件をそっくりそのままなぞってはいないものの、原口元子と奥村彰子の共通点も注目してこちらの記事を読んでみていただくとさらに味わい深く感じますよ・・・。
S 滋賀 銀行9億円横領事件の動機には何があったのか? 奥村彰子と山県元治の今現在は? 奥村彰子は1973年10月21日に逮捕され、 1976年6月29日に詐欺と横領の罪で 懲役8年と賠償金1000万円を命じられました。
やはり母親の影響というのは絶大な力を 持っているのです。
この頃、奥村はバス会社を定年退職したKさんという男性と知り合う。
私も同じ女性としてわかる気がするわ。
それは 「なぜ銀行は奥村彰子の横領に気がつかなかったのか?」 ということです。
奥村彰子は全国指名に手配されました。
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促されて証言台に立った彼女は、地味な上着で化粧っ気もなく、背を丸めていかにも貧相な後ろ姿。
滋賀銀行9億円横領事件は「黒革の手帖」のモデル? この事件は当時もショッキングなもので 松本清張の作品「黒革の手帖」のモデルに なったとも言われています。
共犯相手の山県元次は陶器店を開店したのですが、競艇でお金を使いすぎて、店をつぶしたりと以前よりお金遣いが荒かったようです。
億を超す巨額金が彰子によって横領されていることが発覚していたのです。
その後、彰子は山科支店へ転勤となり普通預金係として働く。
山県はその金で中古のコロナを購入している。
2人はそのまま車内で話しこみ、奥村の方から 「酔って帰ると母がうるさいからドライブしよう」と誘った。
しかし、徐々に持ち金が底をつき、ついに銀行の金に手を付けることになるのです。
私は裁判の手続きなどを全く知らなかった自分を恥じ、この日以降、裁判所の書記官室、検察庁、弁護士会 をできる限り回って、司法を学ぼうと決意したのだった。
山県元治が奥村彰子と知り合ったのは、タクシーの中でした。
逮捕当時、 奥村彰子は42歳でした。
そのころ山科支店では奥村彰子が巨額な金を横領したことが判明し大パニック。