それでも、父は生きたくて点滴を望んでいます。
12月は「帰るね」と言うと父は布団から手を出して握手をし、その手にはまだ力がありました。
経鼻栄養を止める 病棟で、比較的重症患者が入る「305号室」に父が入ってから、生きる綱は細い静脈から入れる 「皮下点滴」だけになりました。
要は、入院している必要はないが、ベッドを塞いでいる老人。
栄養剤の注入があるとすれば栄養剤の逆流による誤嚥性肺炎のリスクがあり、中心静脈栄養ではカテーテルの刺入部の感染による合併症のリスク 心不全、腎不全などの臓器不全・呼吸状態悪化など が考えられます。
経験はしていませんが、 昨日、現役看護師の方が書いた本を読んでいたんですが・・ 老衰とは病気による死とは明らかに違い、静かで、苦しみがない死です。
救急病院よりも看護師の数も巡回の頻度も圧倒的に少ないので、ベッドで静かに寝ていると思われた人が、翌朝になったらじつは死んでいて、死後硬直でカチカチになって発見されるということも少なくない。
・呼吸が苦しくなって、肩で呼吸をするようになる。
家族のエゴで本人が苦しむのは避けたいところですが、いわゆる「本人にも良かれと思って」という気持ちで誤った選択が横行しているのならば、そのことを面談など通して伝えていきたいと考えております。
と言う感じです。
多少のイヤミぐらいには耐えてやる、逃げ切れば勝ちだ」みたいな。
(不思議と胃瘻を希望した方は、介護には関わりません!). 書いてある内容は、私個人は全く賛成です。
本人にとっても、周りにいる家族などにとっても、 穏やかな最期を、迎えることができるかどうかは、 事前の準備にかかっている部分もあります。
本来は、「心肺停止になっても心臓マッサージなどはいたしません」という意味だが、多くの病院では、「具合が悪くなっても、積極的な治療はしないでそのまま静かに看取ります」の意味で使われている。
しかし一方で、歳を重ね身内を看取るようになって来ると、 輸液をしないという選択が家族にはいかに苦しいものか、 ということも分かって来ます。
土日祝日はもともと看護師が少ないから狙い目だ。
途中で高カロリーな栄養を多く摂ったりすると、もっと長く生きられるようです。
何かを食べようとすると、誤って飲み込んでしまうからです。
栄養状態も悪く、浮腫みが強く血管の状態も脆弱です。
上述したことが少しでも参考になれば幸甚です. icon-caret-right 低蛋白血症、心不全、胸水が溜まるなど父の身体に追い打ちを掛けます。
しかし、1月9日くらいから点滴が、全く入らなくなりました。