例えば『トンイ』の主人公として知られる淑嬪崔氏(スクピンチェシ)は1693年、23歳で「淑媛」という品階を与えられた。
放送を楽しみたい。
長生きしているためか、『大王の道』『暗行御史パク・ムンス』『張禧嬪』などなど、登場する時代劇も多い。
逆に、最も長生きした王は、82歳まで生きた第21代王の英祖(ヨンジョ)だ。
常に16人の医療関係者が従事していたとされているが、そのなかで王の医療行為を担当する医者は「御医(オウィ)」と呼ばれた。
左の女の子は「孙蓉」。
王が幼い場合は、母である大妃や祖母の大王大妃が垂簾聴政するのが通例だったが、母・権氏も祖母である沈氏(シム氏)も死去しており、婚礼もしていなかったために頼れるのは唯一の実姉で、まだ10代の敬惠公主(キョンへ)だけだった。
そんな王の健康管理を担当したのが、『宮廷女官チャングムの誓い』などで描かれる「内医院(ネウィウォン)」だ。
その場に参加する40人ほどの実務官吏から国政の現況を聞き、あらゆる決定を王が下した。
日々の激務、運動不足、一日5度の食事…と、身体への負担は相当なものだったに違いない。
また側室から王妃へと昇格したケースもある。
(参考記事:) そもそも韓国時代劇の舞台となる時代は、ほとんどが朝鮮王朝時代といえる。
つまりは王の目に触れ、愛された者だけに側室への道が開かれるということだ。
だが、相次ぐ端宗復位運動に危機感を募らせた世祖によって、端宗は魯山君(ノサングン)に降格、ついには流刑された後に自害を命じられ、16歳の早すぎる生涯を閉じさせられた。
その後の10時前後にきちんとした朝食をとると、今度は秘書の役割を担う「承政院(スンジョンウォン)」から業務報告を受ける。
(参考記事:) 「揀択」とは、朝鮮王朝時代に王や王子の配偶者を決める行事のこと。
また軍事権においても、数々の軍事儀礼の記録を見れば、王が軍の最高権力者であることがわかる。
そもそも朝鮮王朝時代の王はどんな日常を過ごしていたのだろうか。