41 … 世界に関しては、事実、それでおしまいなのである。
そのさい、たとえ現在の書物の(実在している)理由を、元になっている本から説明することができるとしても、何冊書物をさかのぼってみても、十分な理由にいたりえないことは明らかである。
むろん、薬山、石頭、馬祖といった歴史的大禅匠の逸話 (中国の唐の時代 の話。
どうして三千万人しかいないのか……。
こうして「何が在るのか」という点については色々な答え方が可能であるが、「まったく何もない」と主張してこの問いを却下する行為は矛盾を来すため不可能である。
また、のうち宗教と科学の関係について述べた159番に「世俗の現実と信仰の現実とはともに同じ神に起源を持つもの 」と述べられているように、科学的にわかるかどうかにかかわりなく全ての根源には神があるというのがカトリック教会の立場であり、隙間の神的な論証だという批判はあたらない。
そして人間の理性によって扱えないような問題の例として、カントは純粋理性のアンチノミーという四つの命題の組を例示し、ライプニッツが行ったような形而上学的、神学的な議論は、原理的に答えを出せない問題であり、哲学者が真剣に議論すべきものではない、と斥けた。
間違いなくあります。
しかしそのどれについての記述も、この二つのものよりは複雑となる。
読者の見解やいかに。
…だが、我々の計算には、考えられた別の視点がある。
が、かれらの純粋なる方法で流通現象を考えたいと思う時はいつでも、供給と需要は等しいと云う。
次に神の存在について考える。
<要約>... 世界を部分と全体に分けてしまわずに、「世界の中に一本の草木があり、一本の草木 の中に世界がある」 、という相互関係によって見ていくべきである。
一つの想念が切り離されるのに5分とかからないでしょう。
「ラプラスの悪魔」は超越的な力を持っていて、世界のすべての物体の状態を知ることができる。
だからあなたは、世界が永遠であると仮定してみても、諸状態の継続しか考えない場合には、どの状態のうちにも、十分な理由を見いだすことはないであろう。
そして後者の問い「なぜ世界はこうなっているのか」という問いには、同じく充足理由律を元に「あらゆる可能性の中からこの世界が選ばれたことには理由があるはずである」として「神があらゆる可能世界の中から最も良い世界を選んでこの世界を現実化した」という最善説を解答とした。