17日、革労協活動家が犯行声明を出す。
革マル派は「一方的テロ停止宣言」。
」「マルクスの革命的思想は、時代を超えて、私の、われわれの、そして全世界の闘う労働者たちの心奥において生きつづけ、いまなお燃えさかっている。
同志黒田の諸著作を彼らは〈教典〉化し、拝み奉ることをもって、そして彼らが同志黒田の思想をあたかも体現しているかのように装うことによって、自らの官僚的地位の安泰をはかるほどまでに腐敗しているのである。
辞書によれば、ドイツ語の場合と同様に「変態・変形・変成」というような意味で用いられているようである。
その意図は、この文章の隅々にまで貫徹されているのである。
その黒田が、「巨星ついに墜つ」などの報道にふまえつつ、揶揄的に用いた表現が「世紀の巨人の肉体上の死…」(『日本左翼思想の転回』177頁)であった。
『政治判断と認識』(、1999年)• 『STALINIST SOCIALISM』(こぶし書房、)• しかし、それは偽造の域に達している。
『黒田寛一初期セレクション(上・中・下巻)』(こぶし書房、1999年)• 読者たるわれわれの語学力が拙いために、筆者の何らかの勘違いにようやく気づいた、という以上のことではないのである。
だがそれは「の後継者」ではもはやない。
『唯物史観と経済学』(こぶし書房、)• こうして黒田は、マルクス主義者としての確固たる主体性をみずからの内に築きあげていった。
、JR東労組会長を退任、顧問となる。
革マル派が中核派シンパと見なして集団でリンチし殺害したもので、同派は「党派闘争の原則から実質的にはみ出す行為に走ったといわざるを得ない。
しかし、によると、初頭に「大川」という人物がの情報をに売ろうと提案し、黒田もそのことを認めていたのではないかという疑いが発覚(黒田・大川スパイ問題。
彼らは警官が来る前に二台のトラック 盗難車)に分乗して逃走したという。
『Dialectic of Praxis』(あかね図書、2001年)• 「わが全学連の革命戦士は、反革命スパイ集団・ブクロ=中核派の頭目、書記長本多延嘉を、川口市内の隠れ家において捕捉し、これにプロレタリアートの怒りをこめた階級的鉄槌を振り下ろした」 警視庁は19日に専従員配置を決定したが、報復は続いた。
また他方で「全生涯」は、「ただ一人」という規定が妥当するようにわざわざ「の革命的運動を興す歩みを開始した」と結果解釈している。
『プロレタリア的人間の論理-「資本の生産過程」の基底にあるもの』(こぶし書房、1960年)• それでも「同志黒田の……」と言われれば買わないわけにはいかないだろうというわけである。
痛苦にも、現指導部に率いられたは、終焉した。
これは黒田と本多の対立によるもので、黒田派が革マル、残った本多派は同盟の全国委員会の組織を抑えており中核派と称した。
銘記されるべきことは、国鉄戦線の労働者たちが、日本労働運動史上初の反安保政治ストライキをたたかったことである。