2011年に「マスターズ」に出場し27位タイで日本人史上初のローアマチュアに輝いた。
現時点で18位タイと、こちらも大きく順位を上げている。
杉澤:さっきおっしゃった、松山プロの後ろにリーダーズボードがあってあと2打で優勝できるシーンは、死ぬまでその映像は消えないんじゃないですか? 飯田:消えないでしょうね。
6つ伸ばしてトータル6アンダー、ホールアウト時点で11位タイとなっている。
セカンドショットは、「頼むからグリーンに乗ってくれ」と思っていました。
杉澤:飯田さんから見て、どのプレーがキーになっていたと思いますか? 飯田:(最終日の)1番は、ド緊張で口から心臓が出てるんじゃないかなと思うくらいに見えて、ミスショットになった後、2番でティーショットがフェアウェイど真ん中に行った時にもう大丈夫なのかなと思いました。
英樹も努力を辞めたことが8年間なかったですし、その中で一生懸命やれて良かったと思います。
その年の「三井住友VISA太平洋マスターズ」で倉本昌弘、石川遼に続くアマでの国内ツアー優勝を果たすと、プロ転向初年度となった13年には4勝を挙げて賞金王。
僕が立っていた位置からリーダーボードが見えて、松山英樹の名前がトップに来ていて、あと2mのパットを2回で入れたら、僕たちが目指していた日本人で初めてメジャーを優勝すると思った時に、なぜかわからないですけど泣いてしまいました。
杉澤:泣きますよ、それは。
18年は2月に左手親指付け根の痛みが発症して1カ月近く戦線離脱を余儀なくされたが、19年は「ファーマーズ・インシュランス・オープン」3位タイなど徐々に調子を取り戻した。
勝てなかったここ最近は辛い時期もありましたけど、トータルするとあっという間の8年間でした。
16番までで2位と2打差でしたが、3打差だったらそこまで緊張していないと思うんです。
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歩いているだけなのに自分の鼓動が聞こえて、マスクをしていたので息苦しくなってしまって、酸欠状態でした。
多分自分が死ぬときに思い出して死ぬんじゃないかと思うくらいです。
それを達成できて良かったと思ったら、余計に泣いてしまいました。
(松山プロのことを)みんな好きだから一生懸命やれると思います。
14年から米ツアーに主戦場を移し「ザ・メモリアル・トーナメント」で初優勝。
飯田:最初からずっと就かせてもらっているので、努力する姿も痛みも全て見てきました。
10番スタートの松山は出だしをバーディとすると、12番でもバーディ。