それは、そうはっきりと言葉に出して言うのでは無い。
叔母の教え 三つの恩(師の恩、親の恩、社会の恩)を忘れず、今日一日を大切にすること。
毒親 毒母なんて言い方がなかった ずっとずっと昔から 子供を虐待する親はいっぱいいたぞ。
だから、わたしが掃除をしたり洗濯を手伝ったりすれば、(やることなすこと文句は言いますが)まだ機嫌がよかったのです。
あぁ、やっぱりね。
笑 今までの母のの賜物により、 「成績が悪くなったら死ぬ、生きていけない」というのが無意識に刷り込まれており、 意識上では「そんなはずない!」と思うのですが、とにかくこの恐怖感が成人までぬぐえませんでした。
(わたしが40を過ぎてもまだ生きているようですが) のちにカウンセリングで、 その不安感は家の中で安心できる場所がなかったからですよと指摘されました。
心配事の見通しがたったり、解決するまでは、毎日それはもうヘトヘトです。
例えるなら「マ大会きつかった記憶」はあるけど、「今は息も筋肉も苦しくない」っていうのに似ている気がします。
毒親に育てられようが、アナタ機能不全家族でしたよと言われようが、こうして普通に、幸せを感じて生きています。
まさに、脅迫。
小学生の同級生で そういう家庭の子がいて きみも羨んでいたのに 大きくなったら非行に走ったのがいるだろ? そういうものなんだ。
だから、どう感じているか、自分の心に目を向けない私には、奴らの本心が意識の世界ではわからない。
親は、私らが精神的に落ち込んだり、自己卑下し、精神的にダメになればなるほど喜びを感じる。
気になることを抱えながら何かをしなければならないというのは、 ストレスや、集中力が途切れる原因にもなりがちです。
世界で唯一、私らのことを無条件に嫌い、憎んでいるのが親。
だけどこれは体験談。
父に言いたくても、もう届かないのです。
絶対に頑張って高校を 卒業する。
母は私の人生の司令塔になり、私を操縦し続けていたのに・・・ 縛られていたのは母だと言うのか? もう、母と話すのは5分以内。
おお〜2500文字超えそうです。
自殺しか考えなくなった時、毒母が家を急に出ていった。
そのため今年は手書きのコメントがあったのかもしれません。
親は、人生でこんなの初めて!と喜んでいたように思います。