そこから、 神に仕える者も仏に仕えるものもという意味で「禰宜も釈氏も」というようになり、これが後に「猫も杓子も」になったという説もあります。
「形在るものは、いつかは無くなる」と言うのは、諸行無常を表した言い回しであり、それは杓子であっても逃れられません。
「猫は分かるけどしゃもじやおたまが死ぬの?」という疑問が出そうですが、しゃもじやおたまは日常的に使う道具であることから壊れたり汚れて使えなくなるという意味であると考えられます。
「女子(めこ)も弱子(じゃくし)も」を聞き間違えた説 「女も子供も」という意味です。
「犬に小判」「犬の銭見たるが如し」「犬に論語」「馬の耳に念仏」「馬に天保銭」「馬の目に銭」「牛に麝香、猫に小判」「豚に真珠」など、身近な動物が槍玉に挙がっている。
かつては、猫は家の中で飼育されており、主婦は家庭のこと一切を任される立場にありましたので、一日中家の中にいる存在でした。
猫は執念深く、なかなか死なないということ。
昔の人の観察眼に脱帽ですね。
そう言えば、neco家では30年ほど前、犬と猫、両方飼っていたのですが、この犬が子煩悩で、生まれて間もない赤ちゃん猫を母さん猫から借りてきては、舐め回していました。
もし、新しい「彼」がいないのなら、すべて投げ出してでも彼女に尽くすから…お願いだからそばに戻ってきてほしいという感情ですよね。
「 僕は君を手放してしまった」という歌詞は、おそらく愛しい彼女との別れを表現しているんじゃないでしょうか。
「猫に鰹節、道楽息子に金の番」という言い回しなど、そのニュアンスが良く伝わってくる。
『犬は三日飼えば三年恩を忘れぬ』そうで、猫は正反対の悪者になっている。
ということは、日本国民はほぼ禰子と釈子ということ! これから転じて「猫も杓子も」となり、「どんなものも、みなすべて」の意味になったと考えられています! 「主婦と猫」説 ある地域では主婦の象徴として杓子が使われていました。
そして、いつの日かふらっと帰ってくる猫のように、彼女も戻ってきてくれたら…また幸せな日常も戻ってきてくれるという 「彼」の願いで歌詞は締められています。
貴兄諸君、御用心、御用心。
また、効果てきめんであるという意味にも使う。
揃いも揃って この言葉はあまり良い意味では使われません。
という英語の諺の訳か。
あるいは「猫」=「お女郎」「遊女」という連想が根深くあることから、ここでも仲良く並べられたのかもしれない。
「泥棒猫」と言われても仕方がないかもしれない。
内容は、一休さんを伝説化した話を収録したもの。
まとめ 「猫も杓子も」の意味は「誰も彼も」「何でもすべて」「何もかも一緒くた」という意味を持つことわざです。
このように意味の派生した先は分かりましたが、語源とされる説の方は、いくつかに分かれています。