いまその再評価の機運が高まっています。
しかも、装丁など、これまでの仕事も続けて構わない、という破格の条件だった。
そこで本展では、とりわけ挿絵の仕事と、その中で育まれた「雪岱調」とよばれる独自の絵画スタイルに注目します。
雪岱の画業は実に多岐にわたります。
小村雪岱は、その後資生堂を退社していることから、書体の完成には立ち会っていない。
雪岱のを与えたのが鏡花である。
17(土)11時~正午 ワークショップ「あの文章を挿絵にしてみよう」 日時:2. ) 25,000円以上ご購入で、ゆうパックの送料無料となります。
その後、雪岱や矢部の原案をもとに資生堂書体の制作は進み、一九二七年(昭和二年)に完成。
1919年 田村八重と結婚。
もともと資生堂書体は、普通の書体に比べて細長い、縦横10 : 8という比率で設計されています。
『日本橋檜物町』高見澤木版社、1942年• この「菊」は、海外の名士に送る贈呈品として制作された。
作品 [ ]• この展覧会について ABOUT THIS EXHIBITION 大衆文化が花開いた大正から昭和初期にかけて、「画家」と呼ぶには収まりきらない、多岐にわたるジャンルに新風を吹き込み、多くの人々を魅了した小村雪岱(こむらせったい 1887~1940)。
『日本橋檜物町』および、新たに発掘された40篇を加える。
1923年 資生堂を退社。
大正3年()、泉鏡花の『』の装幀を行ない、以後と並び、多くの鏡花作品を装幀、多色摺りによる挿絵の仕事を手がけた。
— KNM KNM2002 川越市立美術館「小村雪岱展」極細の線で描かれる直線と空白で、落ちついた色彩と黒と白の二階調で、静寂に満ちた抒情も緊迫感溢れるかっこよさも自在に表現する小村雪岱に驚くとともに存分に愉しめる展覧会。
25(日)14時から15時 担当学芸員ワンポイント講座 日時:3. 昭和8年()に、挿絵の代表作となった作の『おせん』()、翌昭和9年()の『』()など数々の作品を発表するなど、挿絵の分野においても大きな足跡を残した。
詳細は各施設にお問い合わせ頂きますようお願い申し上げます。
「舞台美術家」としても役者からの信頼も厚く、多くの名優から引く手あまたでした。
略歴 [ ]• 雪岱は東京美術学校で日本画の技術を培い、装幀家、小説挿絵画家、舞台美術家としても活躍。
当時の印刷技術では表現しきれなかった濃淡の表現が味わえるのも原画ならではでした。