ファンの間でも人気の作品で、この当時の宮本さんの姿に憧れる方が多いようです。
このあとに「俺の道」レコード会社を移籍しての「俺たちの明日」、ソロ活動、開設 これは当時は想像だに出来ないか。
この赤羽台団地は、実は宮本さんの実家。
しかし、この時期にあのフライデーの事件が起きてしまったのです。
このように見ていくと「30年近くミュージシャンとしてエレファントカシマシのマンバーが誰もやめることなくロックバンド活動を続けられたこと」からアスペルガー症候群はまずありえないように感じられます。
経験を経るということ。
毎日このようなニュースが流れ、一年半が過ぎましたが、願わくばライブハウスでもホールでも、またぎゅうぎゅうの会場で4人を見られることを心待ちに、希望を捨てずにいたい。
宮本浩次さん曰く「猫かわいがりだった」そうです。
毎月の走行距離が6000kmにもなったそうですから、相当ですよね。
宮本浩次さんはご両親を安心させるために大学に進学されたそうです。
しかし、アルバムのジャケットが赤羽の商店街の写真だったり、1997年に大ヒットした「今宵の月のように」のプロモーションビデオに赤羽の新川土手が登場したり、赤羽台団地内でプロモーションビデをを撮影したりしています。
あれだけ応援してくれた母親のことですから、きっと紅白出場を喜んでくれてることでしょう。
生き様も音も。
宮本さんと母親の関係が、とても温かく、思い合う2人に感動しました。
爆音を出せば出すほど臨場感が増すので、映像を想像しながら日々聞いています。
また過去の彼女のエピソード 私には衝撃的で、「こんなこともあるのか」と耳を疑いたくなりましたね。
それで最後の力を振り絞って、苦しいけど4人で一生懸命やりましたよ、それで紅白にまで出たから、もう喜びもひとしおだった。
大学生時代、レコードショップのアルバイト先でもグシャグシャっとしていたら、3日でクビになったというエピソードもあります。
スポンサーリンク 宮本浩次は若い頃キレやすかったのは天才だから? 宮本浩次さんは若い頃、かなりキレやすい人物として有名だったようです。
小学5年生の時、歌うことが恥ずかしくて辞めてしまいましたが、母親には照れながらも感謝していたそうです。
」聴いてて、この作品をいいタイミングこの世に産み落としてくれてよかったなーって想います(笑)まだの方、是非!!. あの挙動不審な仕草が、宮本さんが精神的にヤバイ人に見えるという人もいるみたいです。