万下の条件として再出発したパーマーは と同じ戦法を取るようになり、降格後の初戦で2着連対、次戦の 特別では切って1年9ヶぶりのを掴む。
レース中にひと息つくようなためる競馬ができるようになってレースぶりに幅が出ました。
はの1頭。
先の惨敗では4番。
他方、その実力に対しては春秋グランプリを連覇してもなお「フロック」という評価が根強く、有馬記念後に出走した阪神大賞典で牝馬のタケノベルベットにも劣後する3番人気であったことからも窺える。
2度の2着を経て3戦目で初勝利を挙げると、次走のも連勝する。
その後はに出走しひさびさの1番人気になるも4着、最後はで有馬記念に出走しふたたび天皇賞と同じくメジロパーマーと激しく競り合った結果、12着に敗れた。
8 札幌 大雪ハンデキャップ 6 6 6着 芝1700m(良) 1:45. 年末の有馬記念のゲートに入るためには、最低でも平地での1勝が必要になる。
障害戦まで経験した馬が、春秋のグランプリ連覇というスーパーホースになるのですから、本当に競馬の世界は分かりません。
なまじ2勝もしているため、分不相応ののに出るしかなく、入着もおぼつかない。
アサマの息子「メジロティターン」もこれに続き、1982年に天皇賞馬となります。
しかしそれでも、主役はやっぱりメジロでした。
先述の通り、ダイタクヘリオスは込みを図るとり強い。
「おばあさま」とは その1 血筋の話の前に「おばあさま」について話さないとね。
と共に出走した92年のでは、パーマーと共に1000m通過タイム57秒5という超ハイペースな大逃げを行った結果、好位につけていた・イクノディクタス、さらにその後ろにいたヤマニングローバル・ナイスネイチャなど有力馬もこのハイペースに巻き込まれて次々と脱落した上に自分達も馬群に沈み、後方待機から大外を追い込んで来た人気薄のが優勝 、共に追い込んだムービースターとの馬連が1万7220円となる大波乱を演出した。
このでは0mと言う長にも関わらず、パーマーはこれまでにないで逃亡。
3歳時にの厩舎に入り、8月にデビューを迎える。
ちなみに一番は。
年明け年、 では見事な二の足を魅せて勝ち(なお3着は)し、のがフではないことを見せつけた。
2周目の向こう正面。
え~、勝つなよ。