しかし、駒込川の峡谷から崖を登って脱出した後、卒倒し凍死した。
県立青森高校から県道40号(行軍ルート)で車で40分、銅像茶屋の脇から歩行者用の参道を約250m登った場所にある。
雪中行軍隊の指揮官。
自身は他の隊員に支えられながら行軍することとなり、足手まといの山田少佐に付かされて体力を消耗した隊員が何人も落伍する。
1904年建立。
これは「」標高1,625に次ぐ高さである。
山口は元々心臓が弱かったとの証言もある。
毛無パラダイスラインは、八甲田ロープウェーの山頂公園駅から酸ヶ湯温泉まで2時間半ほどと初心者におすすめ。
参加者全員無事に八甲田山踏破に成功した。
歩兵第五聯隊, ed. 復路・馬立場での出発前点呼後は神田大尉に付いて行動するが、賽の河原で猛吹雪に見舞われて藤村曹長らと共に凍死した。
復路・神田大尉麾下で大峠方面へ向かう集団と、倉田大尉麾下で駒込川方面を向かう集団を賽の河原で二分した際には倉田大尉の側に付き、山田少佐を含めた3名で駒込川方面を目指した。
田茂萢 田茂萢(たもやち、東北地方で萢=谷地=)は八甲田スキー場の八甲田ロープウェイで登る田茂萢岳(標高1324m)頂上に広がる湿原で、木道が(英語でgourd=ゴード)のように8の字になっているゴードラインを歩くことができる。
八甲田連峰は、どれも四方にきれいに裾を開くようになっています。
隊は行軍を再開したが、中ノ森東方山腹に達したところで日暮れを迎え、さらに午後5時、カヤイド沢東方鞍部に着いた頃、倉石大尉が気づいた時には大橋中尉、永井軍医が隊列から離れて行方不明となっていた。
ワタスゲやチングルマ、キンコウカなどが目立つ。
あの八甲田山の行軍遭難事件などを例に、リーダーが取ってはいけない行動について学ぶ。
テレビCMに極端に宣伝費が注ぎ込まれた最初のケースであった。
装備の乏しさと天候悪化を懸念し、将校らは駐屯地へ帰営することを検討したが、田茂木野村ではすでに案内人を断っていたほか、見習士官や長期伍長など下士を中心とする兵たちの反対もあり、行軍を続行した。
雪壕を出た途端、寒さのためそれらが一瞬で氷になり、それによる凍死である」旨の診断を下す。
隊は悪天候と深雪などの苦難を経て、大峠から6kmの馬立場まで進んだ。
道の左右に湿原が広がっており、ミズギクやタチギボウシ、サワギキョウなどが咲く。