上ノ国町市街から日本海沿いに国道を南下し、石崎の集落から道道607号石崎松前線を石崎川沿いに入って人気が無くなった山を走ると、黒い山の斜面の中にロケット状の風変わりな施設の跡が正面に現れる。
当社の主力事業である貴金属リサイクル事業は、1932年(昭和7年)に開始した金鉱山の経営に端を発しており、金、銀の製錬事業により培った「高度な技術」および「信頼」をベースに「東京商品取引所(TOCOM)」の指定ブランドの金地金銘柄として高品質を誇っております。
焙焼炉は、内面は赤レンガ内張りで外囲が鉄筋コンクリートであり、内径2.3~2.5m、高さ13.8mで1炉の挿入鉱量は50トンで、1日約130~160トン焼鉱産出していた。
赤字になり、マンガン鉱精製で残ったズリからも亜鉛、鉛、銀などを産出していたが昭和61年6月に休山となった。
ころころ具合がたまらん (画像はより) 何よりうれしかったのが、商品を出したときに、ライバルメーカーさんから「これの版元どこですか」という問い合わせがうちに聞いてきたんですよ! もう「してやったり」という感じでしたね(笑)。
菊政氏: 110インチの大画面LEDモニターを導入して、VTuberを来場者がリアルタイムで触れあえる企画が大評判でした。
1987年(昭和62年)11月 - 不動産業、金加工事業を開始。
学校前の道 2002年5月 集会所の屋根が全くない 2006年4月 早川集落会議所(保育所の跡?) 2002年5月 早川集落会議所横の滑り台 2002年5月 教員住宅? 2002年5月 教員住宅と思われる建物が、若葉小中学校の隣にあったが、googlemapでは確認できないので、こちらも学校と共に解体されたと思われる。
かつては経営も行っており、鉱・鉱などを保有していた。
もちろん買取手数料等はありません。
大宮支店 - 2-80-1• 排水された水の処理施設が道路の反対側にあり、現在も稼働している。
34年にはさらに12基の浮遊選鉱焙焼炉(トンネルキルン)を設備し、さらに精鉱処理量が増加した。
中外鉱業は、【リサイクル、貴金属回収、都市鉱山】などのテーマ銘柄です。
同32年には選鉱設備を整備し精鉱処理1万トンまで増えた。
その付近には、現在鉱山跡から出る排水の処理施設(12)がある。
(平成16年)4月 - 事業に進出。
ロットの関係でぬいぐるみはなかなか攻めづらいんですよね。
コンクリートの壁がそれをつたえている(ホッパーの跡か?)。
このころから金属の値段が変動していき、昭和40年代になると生産しても赤字になっていく。
特徴的な焙焼炉 2002年11月 特徴的な焙焼炉 2002年5月 特徴的な焙焼炉 2002年5月 選鉱場跡 2002年5月 最盛期には従業員は役員、職員、坑内夫、坑外夫、組夫あわせて約600人、約250戸、約1,500人が中外鉱山のある早川地域に住んでいた。
途中何件かの廃屋があり、やがて舗装道路も終わってしまう。