「首相官邸内で菅さんの力がどんどん強くなり、官僚も安倍さんより菅さんのほうを向き、それを安倍さんは苦々しく見ている。
投開票当日の夜、都内で森山裕国会対策委員長らと会って今後の対応を協議はしたものの、予定していた自民党本部に入るのをやめて、議員宿舎に戻ってしまったのだ。
自民党選挙対策局長 2009年8月30日に行われた第45回衆議院議員総選挙に出馬した際は、公明党の推薦も受けて9回目の当選を果たし、同年10月には自民党幹事長の下に新設された自民党選挙対策局長に就任。
国土強靱化に「事前の対策が重要だ」と強調。
こうした事情もあり、二階氏は新年会に顔を出さないかもしれない。
父親の俊太郎は和歌山県議会議員だった。
このように、総幹分離は、この時点では必ずしも明確な慣行とはされていなかったと解される。
以後、自民党が下野する2009年までほぼ一貫して政府や党の要職の座につけ、政界再編期の離党・出戻り組の中では異例な存在であった。
普通、組閣本部のメンバーとして人事に関わる。
同時に委員長に選挙対策局長のを指名した。
また、自民党のナンバー2として、同党のの役割も担い、定例記者会見を行う。
このことも総幹分離を定着させた一因である。
2008年の福田内閣改造に伴い自民党総務会長を退任し、福田改造内閣に経済産業大臣として再任された。
衆議院議員 1983年12月18日、旧和歌山2区から自由民主党公認(田中派)で第37回衆議院議員総選挙に立候補する。
菅政権でも引き続き幹事長を務め、目下、通算在職日数の最長記録を更新中である。
「幹事長は党の幹事長であって、二階派の幹事長じゃない。
このように、総幹分離は、この時点では必ずしも明確な慣行とはされていなかったと解される。
首相を目指す政治家にとって、幹事長はぜひとも経験しておきたいポストだろう。