昔はソフトボールとか三角ベースとか、そんな感じで野球ばかりやって遊んでいました。
永島敏行、名だたる監督たちとのタフな日々。
気温が40度近くまでなっていましたけど、撮影が楽しいから終わってほしくないと思いました。
女性は本当にすごいなと思ったのは、草取りをはじめたらずっと草取りを続けてやり遂げるんですよ。
37歳のときに農業に関わるようになり本格的に秋田でコメ作りをはじめると、2005年に「有限会社青空市場」を設立。
そうしたら、いずれ僕も農水省を定年になって、畑に出て農業をやるほうに回れるかなって(笑)」 -今後はどのように?- 「今は苦しいけど、マルシェに出てくる生産者の人たちも、やっぱりマルシェがあるから、一般のお客さんとつながっていけるんですよね。
本当に大変な時代を生き抜いてきた人たちは、言葉に出さなくても見えるものがある。
寺山さんの短歌などは書かれているんだけど、僕らのセリフがきっちり書き込まれているわけではないので、撮影のときに東さんから、森下愛子ちゃんや吉田次昭さんたちと喫茶店で雑談しろと言われて雑談していると、『じゃあ、私たちが売春すればいいんじゃないの? と言って』という感じで、東さんがセリフを入れてくれるんです。
でもその前にアメリカで『ロングラン』という映画の撮影で約2か月間アメリカにいたんだけど、僕は日本人のバスに乗らずにずっとアメリカ人クルーの車に乗っていたので、なんとなく日常の必要な会話ぐらいはできるだろうなと思っていたんですよね。
芝居も何もできないんだから、お前には演ずる技はない」って言われて 笑。
パキはこう言ったんだ』って言ったりして(笑)。
石丸: 永島くんと、内藤剛志っているでしょ? 2人ともおじさんだったの 笑。
5年やったんですけど、死ぬかと思いました(笑)」 -それでもやり続けるところがすごいですね- 「言い出したらやらなきゃいけないじゃないですか。
20代のころ「もう40ぐらいなんですか?」とか。
引用: 永島敏行さんのこと調べていると「永島敏行 車椅子」というワードが見当たります。
今回は、石川県金沢市の伝統野菜「加賀れんこん」を題材に、後継者不在に悩む農業の現実を描く。
山本: 不思議ですね。
永島敏行さんは2017年に出演したラジオで農業に対する熱い気持ちを語っています。