当時の嫪毐は、大后(秦王政の母親)の愛人として、絶大なる権力を持っていました。
寿胡王にとって最大の誤算は満羽の異変だったが、もう一つの誤算は呉鳳明が主攻を任せた騰の圧倒的な突破力であった。
ここで呂不韋を裏切って秦国に付く事を明言しているシーンがキングダムにもありました。
昌平君のことを「本来人の下につくような人物ではない」と呂不韋は言います。
媧偃はこの時探していた弟ではなかった? または 媧燐が少女の時に探していた弟は、もしかするとこの媧偃ではなかったという可能性もあります。
なぜ、キングダムはこれ程までにビジネスマン(特に経営層)に受けるのか。
剣で交わす男の友情と因縁の対決を、ぜひとも一騎討ちで描いて欲しいと思います。
ちなみに、戦国四君と言っても、他の3人はどのような功績があったのか分からない部分も多いですし、失敗もしているような感じです。
紀元前223年に、相国である昌平君が楚に走ったのです。
しかし、これら戦略作りにおいて何よりも大事なのは、経験です。
楚の復活を賭けた最後の策だったかもしれません。
希代の軍略家である媧燐(かりん)を打ち取るために、現場の武将たちはもちろん、秦国でも周到に作戦が練られるはずです。
昌平君は、楚から秦へ人質として送られ、いつ殺されてもおかしくないような際どい立場におかれながらも、その能力で頭角を現し、秦の相国に昇りつめました。
この反乱を李信の軍が討伐に向かったところ、李信軍は楚の項燕の奇襲を受けて大敗北を喫することになります。
ただし、媧燐(かりん)は荒野をひとりでさまよった。
悲しき結末になる気もしますが。
その楚を秦が滅ぼした時、昌平君は、楚の大将軍、項燕(こうえん)の要請に乗り、秦から逃亡して楚に赴き、自ら即位して楚を復活させます。
昌平君の祖国・楚は、覇王・項羽の力により、一瞬の輝きを伴って復活したものの、脆くも崩れ去るという運命をたどったのでした。
史実では信陵君がいなくなった魏では特にこれと言った名将も出現しませんでした。
その後丞相にまで上り詰めた昌平君ですが、楚攻略の段階で作戦が全く思い浮かばず、祖国楚を捨てきれない自分に気付きます。
39巻で呂不韋と袂を分かち離れた昌平君は、秦王嬴政のためにと共に反乱を鎮めます。
これ以降も、もちろん歴史は続き昌平君が淮南で項燕により楚王に立てられましたが、・に攻められて破れてしまうのが紀元前223年の事です。
あの頭脳明晰な昌平君が、項燕の依頼だけで王になることはあるのでしょうか? 本当は随分前からこの計画を立てていたことはないでしょうか? 「本来人の下につくような人間ではない。
韓は紀元前230年に秦のにより首都の新鄭が落とされ、戦国七雄の中でも最も早く滅亡しました。